1 ■■ パドルムーブ ■■ 2003-08-30 (Sat)

 記憶に残っている最初のマジックは幼稚園の隣組にいた可愛い女の子に見せたパドルムーブだった。
当然その当時にパドルムーブと言う技法名なんて知らないのだけれどそのマジックしか知らなかった。
そのマジックを見せてくれたのは死んだお袋の父。(「死んだ」は「父」にかかっている。お袋は今も元気だ。)
つまりお爺ちゃんという事。
初孫の私をよく可愛がってくれ、満州の馬賊に習ったという奇術を見せてくれた。
それがパドルムーブ。
最初はタネが分からずイライラしていたことを覚えている。
今でこそプラスティックや真鍮などの素材でバラエティに富んだ現象があるけど、その当時は割り箸に炭。
割り箸の先っぽに炭で印を付けてそれが消えたり出たりするという単純なもの。
幼稚園児だから割り箸と言っても角材ほどの大きさだった気がする。
とにかく女の子の気を引きたかったのだろう。

 今でも少し手順を変えて割り箸でパドルムーブの手順を演じている。
この時あらかじめ割り箸の切れ目の無い所にもカッターナイフで最後まで切れ目を入れて、割る際に両方が同じ形になるように心がけている。
そうでないとたまに割った箸の頭が三角形になりパドルムーブした時に変な感じになってしまう。 (笑)

2 ■■ 四ツ玉 ■■ 2003-09-01 (Mon)

 初めて買ったマジック用具は小学生の頃でテンヨーの「シカゴの四ツ玉」だった。
なんで「シカゴ」なのかは今でもよく分からない。
長崎に昔「岡政」というデパートがあっておもちゃ売り場にマジックコーナーがあった。
週末は実演販売が行われ案外賑わっていた。
もちろん私は買わない常連客として嫌がられていた。
しかし1個の赤いボールが指の間で数個に増えては減って、最後には全てなくなってしまうこのマジックは私を虜にした。
正月にお年玉を握り売切れていないことを願いつつ売り場に走った。
実演販売員はいなかったのだけれど商品はあったので早速購入して家へ。
箱を空けて中身を見たときは愕然とした。「なんじゃ、こりゃあ!」(笑)
最初に思ったのは実演販売員が演じたマジックと買ったマジックは別の物ではないかと。
それでももったいないから練習もろくにしないで親や弟に見せたが、すぐにバレた。
「やっぱり違うのか・・・。」・・・いや違わなかった。
この時に練習すればできるし、練習しなければ何もできない、と分かった。
幸いお袋の鏡台は3面鏡だったので、角度の大事さも実感できた。
ツルツルしたボールがやっと指先にフィットするようになった頃にはもう塗装が剥げていた。(笑)

3 ■■ 不落の水 ■■ 2003-09-04 (Thu)

 「不落の水」でクラス内を一世風靡していた中学の頃もマジックの情報が全く無かった。
唯一の情報源は定期的に送られてくるテンヨーの簡単な雑誌だった。
新製品案内とか加藤英夫さんのマジックに関する情報など。
その当時のTVでは初代引田天功師のシリアスなマジックか、あとは伊藤一葉さん、ダーク大和さん、
アダチ龍光さんなどのコミックマジックが流行っていた。
そういえばアダチ龍光さんはエポック社というおもちゃの会社からマジック用品を出していた。
なんかとても懐かしい。
考えれば今でも癒し系のコミックマジシャンに人気があるのも不変の原理なのか。

 その時代、アメリカにタネンと言うマジックショップがあることがわかり、すぐにカタログを注文した。
1ドル360円の頃で知らない国に初めて送金したドキドキ感を今でも覚えている。
送金したその日からカタログを待った。
その頃の郵便での送金事情やサーフェイスメール(船便)での到着などでゆうに3ヶ月以上は掛かったのだけれど、毎日毎日イヤになるほど待った。
今マッドマジックのお客さまが私と同じ気持ちに違いないと思い、毎日入金確認し、その日の内にお送りしている。
当然、代引きもその日の内にお送りしている。(宅配便の集配は午後4時なので、その後の注文は翌日になります。)

 中学生後半になると私にとって2つの大きな出来事が起きた。
1つはテンヨーにいた加藤さんが辞められ、マジックアカデミーと言う通信学校?を設立した。
もう1つはやはりテンヨーにいた方がトリックスと言うマジック会社を設立した。

情報が無かった私がマジックに突っ走るきっかけを作ったこの出来事について少し書いてみよう。

4 ■■ カリヨン ■■ 2003-09-05 (Fri)

 生まれて初めての通信教育がマジックだった。
加藤英夫さんのマジックアカデミーに入会し、マジックの基本や応用など色々身体に叩き込んだ。
中学生なのに手紙で質問すればすぐに答えが返ってきたし、とても優しいおじさんだった。
(もちろん今でもいいおじさんです。親父ギャグだけはやめて欲しいが・・・。)

 このマジックアカデミーは非常にわかりすいマジックが多かったが、1973年9月30日に初刊された「カリヨン」という同人誌は凄くマニアックだった。
そしてトリックスというマジックショップの存在もこの同人誌で知った。
この同人誌を長崎まで送ってくれたのが編集していた斉藤正喜さんである。
彼の恩師が私の名前に似ていたらしくタダで毎回送ってくれた。

 その当時新宿にあった喫茶店「カリヨン」に日曜夜マニア達が集まりマジックをこよなく愛していた。
その後すぐに隣の喫茶店「六本木」に場所を移動したが同人誌のタイトルはそのままにしたようだ。
テンヨーの道具しか知らない私にとって、スライディーニ・ラリージェニングス・マイクスキナーなどたぶん人の名前だろうとしかわからないカタカナやテクニック名が当たり前のように書き込まれ最初は全くなにがなんだか・・・(笑)。
中学生の私はこの喫茶店に行きたくて行きたくてたまらなかった。

 今でも凄いなと思ったのは初刊のカリヨンの中にストッキングを買い漁る記事が乗っていた事。
見えない糸の歴史は非常に古いのである。
カリヨンでさえ30年前だ。
(年末の世界のマジックショーで高木重朗さんの前でフローティングビルをマイケルアーマーが演じたのはその数年後だと記憶している。)

このカリヨンによって私はクロースアップマジックの虜になっていったのである。
ほんとに心から斉藤正喜さんに感謝している。

5 ■■ 忍 者 ■■ 2003-09-07 (Sun)

 高校に入るとマジックをやらなくなった。
全くやらなかった訳ではないがクラブ活動が忙しかったのである。
もちろんその間もカリヨンだけは愛読していた。
実は子供の頃からマジシャン以外にも憧れていた職業がひとつあった。
「忍者」である。
色々な小道具を駆使し、華麗にそして目立たず(ひどい矛盾である)活動する忍者が大好きだった。
小学1年の頃、「忍者部隊月光」がTVに登場した時はもう楽しくてしょうがなかった。
相手の目をくらます技術はマジックでできるが、逃げる時のバク転はマジック本には解説していない。
そこで器械体操部に入ろうと思っていたが、悲しいかな長崎市立江平中学校には男子体操部が無かった。
仕方なく柔道部や卓球部などを渡り歩きながら海外のテーブルマジシャンの名前やテクニック名を調べては頭に叩き込んだ。
 器械体操部に入る為に長崎県立北高等学校を受験、幸い合格した。
もちろんその時はもう「忍者」になろうとは思ってはいない。(笑)
ただクラブ活動が楽しくてマジックの勉強や練習が疎遠になってしまった。
社会人になって昔のアルバムを覗くと、ナント最後の高体連で個人優勝していた。
と言うものの下手糞だったので団体戦でレギュラーから外れ個人戦に出場しただけ。
写真を見なかったら一生忘れていたことだろう。
 
 私は過去にマジックで獲った賞のトロフィとか賞状、盾などは一切店に飾らない。
一部はもうどこにあるのかも分からない。
だって過去の話である。
大事なのは「今はどうなのか」と言う事。
仕事上宣材に必要だからプロフには載せるが、でもそれだけ。コンテストに出るのも好きではなかった。
なぜならマジックは審査員に見せるものではなく楽しみに来ている観客の為に見せるものだと思っているからである。

6 ■■ マジックショップ ■■ 2003-09-08 (Mon)

 第一志望の立命館大学経済学部に落ち、滑り止め(失礼)の福岡大学にはかろうじて合格。
第二志望は長崎国際経済大学(現在の長崎県立大学)。
と言うのも高体連が終わった後、以前からやりたかった格闘技(空手)を始め、その師範が長崎国際経済大学の顧問でもあったからである。
ところが福岡大学の合格通知とパンフレットが届いた時、心が揺れた。
分厚い総天然色のパンフレットには「天神まで30分、西新まで10分、新しいキャンパスライフ、楽しい学生生活が君を待っている!」と書かれているではないか。
分譲マンションのチラシのようなキャッチコピーに後ろ髪を引かれ福岡大学への入学を決意。
これがのちのプロマジシャン小川心平を誕生させる大きな要因になったのである。
もし長崎国際経済大学に行っていればもちろん今はない。
ところがマジッサークルもない福岡大学に入学しても高校時代のようにマジックにはあまり興味を持たなかった。
あの出来事がなければ・・・・。

 ある日空手部の先輩から頼まれたバイト(体育館の床貼り・重労働)が終わり給料をもらう為、その会社がある別府(福岡市城南区)の住宅街を歩いていた時にある看板が私の目に飛び込んできた。
そこにはなんと「マジックショップ」と書かれているではないか!しかも閑静な住宅街にだ。
生まれて初めて見るマジックショップの看板。
忘れかけてたものが徐々に湧き出てくる。
ついでに道場破りの侍の魂まで乗り移って来る。
しかもバイト代がポケットの中に入っている。

 これは門を叩かねば・・・。
看板から奥に入ると表札に九州奇術会・菊地マジックと書かれてあった。
初めて聞く名前だった。
呼び鈴を押してしばらくすると玄関の引き戸がガラガラと開いた。

 そしてそこに立っていた人を見て驚いた。

7 ■■ マジックショップ2 ■■ 2003-09-11 (Thu)

 その人は背が非常に高く、いかり肩の痩せ男で黒ぶちのメガネの奥にギョロリとした目が光っていた。
一番驚いたのは手が異常に大きかったこと。
のちにその男が世界中のマジック大会の賞を総なめにし、マジック業界で一斉を風靡する人物になろうとは、もちろん夢にも思わなかった。
彼はそのショップ(実はメーカーであったが)を手伝っている九州大学在学の大学院生で、ショップに隣接するショップのオーナーが家主のボロ(失礼)アパートに住んでいた。
 とにかくなめられてはいけない。
知ってる知識を盾にし、テクニックを矛として挑んでみた。
結果を言えば完敗。(笑) 
そりゃあターベルコース(原文)全巻・ジアートオブクロースアップマジック(原文)全巻、スターオブマジックなどなど、ほとんどのマジック専門書の洋書を読破した史上最強のマニアに勝つはずは無かった。
彼の名は酒匂正文、ご存知の方も多いだろう。
一応低レベルの私に君の知識は凄いよと言ってくれたが、嬉しくなかったのはいうまでもない。

 その日、彼は菊地マジックがアンテナショップとして出店している岩田屋というデパートでディーラーをやってるから来ないかと誘われ、断る理由もなく(よく使われる言葉)付いて行った。
バイト代がポケットの中に入っている・・・(笑)。
 岩田屋のおもちゃ売り場の一角に腰までの高さのガラスケースに整然と並んだマジック用具。
良く見るとブリスターパッケージや箱物の道具が全く無い!つまりテンヨーやトリックスやその他の日本製の商品が無く、全てが海外からのバーター物やオリジナル商品ばかりである。
これにも度肝を抜かされた。
大学時代はあまりマジックに興味を示さなかったと言ったが、やはりデパートのマジック売り場はなんとなくチェックはしていたので、はじめて見る道具に心躍った。
ケースの中にタネンのカタログで見た「カンガルーコインセット」が置いてあったのが印象的だった。

 お客もそんなにいなかったので酒匂氏が喫茶店に誘ってくれ、そこで小1時間程彼と過ごしたのだが、もうテクニックのオンパレード! 
欧米のクロースアップマジシャンの霊が乗り移ったかのように次々とコイン、カードで指先の魔法を繰り広げてくれた。
これが酒匂氏のマジックを見た最初であった。

8 ■■ フィックルファイヤー ■■ 2003-09-13 (Sat)

 彼からの誘いで菊地マジックにバイト生として入ったのはその翌日。
きつい日々の始まりであった。(笑) 
ここで少し菊地マジックに関して話をしてみる。
経営者はあのマジック界の三大奇人のひとり故菊地豊氏。
クリエーターであり、ディーラー、そしてパフォーマーでもある。
1年の半分以上を海外で過ごし、ほとんどの海外コンベンションでオリジナル商品を販売している有名で孤独なマジシャンであった。
彼を有名にさせた作品のひとつに「フィックルファイヤー」がある。
数十年前の映画「ヨーロッパの夜」でチャニングポロックが鳩出しを演じ、その後鳩出しの狂乱時代が現在まで続いている中、彼は鳩に変わるプロダクションを考えていた。
そしてそれがベアファイヤープロダクション、商品名「フィックルファイヤー」として世に発表したのである。
そのフィックルファイヤーの初期のポスターにあの島田晴夫氏が友情出演していた事を知っている人は少ないだろう。
バイトに入って夕方まで岩田屋でディーラー、そして会社に戻り、フィックルファイヤー製作の為、厚さ1mmの鉄板を反らないように専用のカッターナイフでカットする仕事が続いた。
当然1回では切れないので数十回もナイフを動かす単純作業。
これがもう拷問以上(笑)。
しかも菊地氏の息子(その当時小学低学年)が私の周りをクルクル回りながらマジックウォンドで私の頭を叩き遊ぼうとせがむ。
今でも遊ぼうとせがまれている。(個人的に超大爆笑)
その息子も現在は若手イリュージョニストとして大活躍しているジミー菊地氏である。
SAMの横浜大会にもゲストとして出演していたのでご存知の方も多いだろう。来年はSAM福岡大会の会長だ。

 さてバイトが終わると隣のアパートに住んでいる酒匂氏のところへ。
現在彼は本名を酒匂雅史と改名し芸名はご存知のようにミスターSAKOHである。
雑然と部屋中に散らかっている生活雑貨とは対照的に、マジック用具はきっちりと整理されていた。
箪笥の中は綺麗に広げたシルク(折り目無し)や小物など。
本棚には洋書がびっしり。狭い部屋の真ん中に万年コタツ。
ここでいろんなマジックを見せてもらった。
そして彼の凄さをイヤと言うまで感じた出来事があった。
ある時私が考案したマジックを彼に見せたことがある。
パイプを付けたタバコを燻らしながら一通り見た後で彼は一言つぶやくように言った。
 「それはだね、1964年のだね、IBMマジックコンベンションテキサス大会のだね、2日目にあったクロースアップショーの時のだね、ジョーサヨエールが演じた手順をだね、3年後にスコットトンプソンが改良してアボットで演じたマジックと同じ手順だよ。」年代と名前の記憶は私の方が定かではないが、ほんとに変で凄い人である。
そして私はそれまで手が小さかったのでバイシクルのブリッジサイズを愛用していたのだが、酒匂氏にこう言われた。
「バーノンの先生のマックスマリーニは君の手より小さかったんだよ。赤子の手みたいにね。それでも完璧なパームをしていた。問題はアングルとミスディレクションだよ。」
 
 私は彼の大きな手を横目で見ながら説得力のない奴だと思った。

9 ■■ オリジナル ■■ 2003-09-13 (Sat)

 私は酒匂氏に自分で考えたマジックを見せるたびに「それは誰々がやってる」と言われ続けてきた。
そこでなるべくと言うか全く本やTV、ビデオなどを見なくなった。
見ればそれに影響されると思ったからだ。
そしてまた色々考えて彼に見せたが、やはり「どこかで見たことがある。」と言われた。
でもよく考えれば全世界に数十万人以上はいるといわれるマジックのプロやマニアが同じようなことを考えても不思議ではない。
プル物がそうである。
いわゆる昔からある引きネタ。
要は引きネタの先っぽに取り付ける物の
違いがオリジナルなのだろう。
もちろん引くギミックも最近は色々とある。
普通のゴムや糸だけのものやパーフェクトホールドアウトのように精工なギミック物、そして新WXホールドアウトのようなオートリール物などなど。
マジック用具とは大変面白い物だと思う時がある。
例えば、あるマジック用具はコインは消せるがタバコは消せない。
逆にタバコは消せるがコインは消せない物もある。
マジシャンにとって一番いい道具は何でも消せてすぐに出せ、囲まれても大丈夫で持ち運びに便利なマジック用具である。(笑)
 ただ1枚のコインを完全に消すのにプル物を使うかジャリ物かトピット物か、ギミックコインを使うかはマジシャン側の事情であって観客側から見れば単に消えたと言う不思議な事実だけ。

 現存するマジックもその手順を改良するという事は楽であるが、全く無からの創作は大変である。
私の「サムタイム」も「サムタイ(親指を結ぶ意)」の改良版であるし、スレッドルーティンもインビジブルスレッドを使用したシステムの改良に他ならない。

 マジックを覚える方法は3通りある。
1つ目は道具や本、ビデオなどを購入する。2つ目はレクチャーも含め実際にマジシャンから習う。
3つ目はTVや実際の演技を見て、こうじゃないかなと考えやってみる。
そして実はもう1つある。それは独自に創作してオリジナルのマジックに仕上げる事。
その為には上記3つの方法を削除しなければならないだろう。
かといって本当の創作マジックを考えるなら「出現・消滅・変化・貫通・浮揚・復活・移動・当て物・予言物・動き物」以外の現象を考えなければならない。
でもこれ以外に不思議な現象があるのだろうか。

 しかしほんとに大事なことはオリジナルであろうがそうでなかろうがちゃんと自分の物にする事。
特に他のマジシャンの作品(売り物)であれば、その考えたマジシャン以上に演じることが礼儀かもしれない。
後輩のマジシャン達が私の店に修行に来た時に必ず言う言葉がある。
それは「マジックが見たい。」と漠然と観客から言われるのではなく、「誰々さんのマジックが見たい。」と言われる事。
「マジシャンだったら誰でもいいです。」と「誰々さんのマジックをお願いします。」ではえらい違いだ。
不思議がらせる事は誰でもできる、楽しませることがマジシャンにとって一番大事なことなのである。

10 ■■ バーマジック ■■ 2003-09-15 (Mon)

 大学の空手部をやめ、大学自体も3年生の時に退学届けを出し、夜は中洲のクラブでバイトをしながら菊池マジックに通った。
結構経済的に苦しかった。
と言うのも菊池マジックのバイト料はほとんど現物支給。
初めての給料日に会社へ行き、菊池氏に今日は給料日だと告げた。
すると彼はおもむろに箪笥の中から袋を取り出し、中から銀色のカップ3個と息子が私の頭を叩いたマジックウォンドをテーブルに出して、「これはお前の給料より高いんだ、遠慮は要らん、持ってけ。」
私にとっては忘れられない悲しい話である。「カップ&ボールよりお金が欲しい・・・。質屋へ持って行っても100円にもならん。」
マジックをしない人にとってマジック道具はガラクタ以下の価値だろう。
たぶんこのMonologueをご覧になってる皆さん方の奥さんも同じ気持ちではなかろうか。(笑)

 約1年間くらいで菊地マジックのバイトをやめ、二十歳になった時に長崎へ帰った。酒匂氏もそれ以前に菊地マジックを離れて東京へ。
私は長崎でお袋とその妹と私の3人で小さなスナックを開店した。
店名は「スナック心」。私の名前を1文字使っていた。よく聞かれるが小川心平は本名である。
子供の頃は嫌いな名前だった。

 さあ、長崎での新しい人生が始まった。
その当時非常に数少ないバーマジシャンとしてのスタートである。
そういえば酒匂氏から博多時代にマジックバーに連れて行ってもらったことがある。
その当時の博多には2軒のマジックバーがあった(と言うか現在も頑張っている)。
奇術の店「西岡」とスナック「泉」だ。スナック「泉」はマスターが買い物中にてんぷら油に火が着き、現在は別の場所でスナック「ニュー泉」として営業している。
西岡も以前はスナックミニヨンという屋号で小さな路地裏で営業していたのだが現在の場所に移動した。
この2軒のマスターはバーマジシャンとしては私の先輩だ。とくに「ニュー泉」のマスターはその当時菊地氏とも親交があり、私も可愛がってもらった。もちろん「西岡」のマスターにも可愛がってもらった。
大学時代には私の下宿にも遊びに来てくれたこともある。
現在でも博多で仕事があったら2軒とも顔を出すようにしている。
ただ、この二人はお互いにあまり仲が良くなかった事を覚えている。
そういえば大阪ミナミにもその当時2軒のマジックバーがあってお互い仲良くなかったような気がする。(笑)

 ところでバーマジックとクロースアップマジックの大きな違いは観客にある。
クロースアップのコンベンション等での観客はマニアも含めて非常にマナーの良い好意的な人々に対し、バーマジックの観客はほとんど素人さんで酔っ払いも多い。
つまりマジックを知らない人達が唯一見れるテーブルマジックはマジックバーということである。
現在でこそテーブルホッピングと言うジャンルが確立されているが、26年前はそんなものはなかった。
テーブルマジックを見れるのはバーかクロースアップのコンベンションや発表会とその時のゲストの演技だけ。
もちろんTVでも見れるがTVは2次元の世界である。
臨場感もないし一方通行でCMがうるさい。
面白いことに私の店のお客さん達はTVで放映されたテーブルマジックを見てもTVだからとあまり驚かない。
生のマジックを見ればその楽しさや感動を肌で感じることができると言うことを分かっているのである。
 たぶんこのホームページをご覧になっている皆さんのほとんどは生でしかも至近距離でマジックをご覧になった事がないと思う。
全国的にもマジックバーが非常に少ないことが原因であろう。

 実は大胆で面白い企画を以前から思いついている。
それは私が希望のご当地まで出向きマジックを披露するというもの。
これをネットオークションでアゴ・アシ・マクラ(食事・交通費・宿泊費)込みで100円位から始めようと考えている。
当然、長崎の方々には参加を遠慮してもらう。如何だろうか。

 次回はバーマジシャンとして、そして同時にステージマジシャンとして長崎を拠点に活動を始めた頃を残り少ない脳みその海馬を突きながら思い出して書いてみようと思う。

11 ■■ スナック心 ■■ 2003-09-17 (Wed)

 開店当時、私の店のお客さんは親父の知り合いばかりだった。
その当時親父は三菱重工長崎造船所に勤めている会社員でその仲間たちが呑みに来てくれた。
私の友人も来てはくれたがほとんどが県外就職だったので非常に少なかった。
親父の意向でセット料金も安く、開店時間は7時なのに会社が定時だと6時頃から店に並んでいて、慌てて店を開けることも多かった。

 お客のほとんどは酔っていたし相手は素人だし、もう「どこかで見たことがある」と言う奴はいなかった。
行け行けドンドンの感じでマジックをやっていた。
「どうだ凄いだろう!お前らには絶対に分かるまい!」という邪悪の念が全身の毛穴という毛穴から間違いなく出ていた。
これが悪かった。
ほとんどいじめのマジックだった。
観客のカードを当てた時や、お札を宙に浮かせた時、カップからレモンを出した時など、鏡は見てはいないが、多分鬼の首を獲ったような顔をしていたと思う。
まずは観客を度肝を抜くマジックで服従させて、それからさらに追い込んでいく・・・。
まさしくSのマジシャンである。
 これには自分なりの言い訳があった。用具にお金を使い、たゆまぬ練習を続け、いろんなマジシャンと交流を持った私が無料でマジックを披露してやってるんだと。
それがお客と私をギクシャクした関係にしていった。
不思議だけど偉そうだと思われていた。それでもお客が絶えることはなかった。
簡単な理由だ。その当時長崎で生で見せるマジシャンは私しかいないのだ。
その気持ちのまま毎夜バーマジックを披露していた。
 
 そしてある出来事が起きた。
いつものように店を開け、お客が来るのを待っていた。
音楽も好きだった私は店にも私にも似合わないJBL4311Bモニターを吊るしてデイブブルーベックのテイク5を聞いていた。
ドアが開いた。
初顔のお客だ。
聞くと大学生で凄くマジックが好きだけどお金が無いから来れなかったが、今日バイトのお金が入ったので勇気を出して来たと。
手には給料袋が握られていた。なんだか昔を思い出した。
その日はいつも以上にマジックを見せてやった。
彼は驚き、興奮し、不思議がったが楽しそうではなかった。
帰り際、ドアに向かう彼は首を傾げながらうなだれて帰っていった。
その後姿を見た時にふと思った。
そういえばお客は不思議がって帰るが、楽しんで帰る人はいないなと。それは自分が凄いことをしてやるのだから真剣に見ろと言ってるからなんだと。
 これじゃいけないなとだんだん思ってきた。
サーカスのピエロの話を思い出した。
サーカスのピエロはそのサーカス団で一番熟練し、業に長けた者だけが許される役だと。
だから非常に危険な業でも観客の笑いを誘いながらさりげなくこなしてしまう。
もし長崎にもう1件マジックバーがあって私と同じレベルの人間で、その店が面白、おかしくマジックを披露していれば、お客は全てそっちに行ってしまうだろうと考えた。
 でもどうやったらそんな余裕が持てるのだろか。
どうやったらお客が楽しんでくれるのだろうか。
いろいろ考えた。
変な顔してマジックをやれば馬鹿にされたと思うだろうし。
ギャグマジックも仕入れたが自分には合わないし。
マジックの合間に笑い話をしてもお客より私が浮いてしまうし・・・。
 だんだん自信がなくなってきた。
思えばやってきたマジックはいつも事務的だししゃべりもいつも同じ。
正確無比なテクニックと完璧なミスディレクションがマジックの全てと思っていた私はやっとつまずいた。

12 ■■ IBMハワイ大会 ■■ 2003-09-24 (Wed)

 思い悩みながらのバーマジックは辛いものだったが、あるブームが長崎にも到来した。
カラオケである。
その当時は8トラックのカセットで分厚い歌詞カードに指を数本入れながら観客はマイクを離さず、歌に発狂した。
うちのお袋もお前の金にならないマジックより1曲100円のカラオケが稼いでくれると大歓迎。
私も自分の横柄で事務的なマジックよりは観客が楽しめるカラオケの方が良かろうなどと納得していた。
バーマジックを考えるいい機会だった。
そんな時マリック氏のツアーでIBMハワイ大会に参加した。初めての海外コンベンションだ。
そして初めての海外。ついでに親父も連れて行った。1983年か1985年頃だったと思う。
 いろんなマジシャンのショーをむさぼるように見入った。
日本では会えない海外のマジシャン、そして見ることもできないマジックを堪能した。
もう約20年前のコンベンションで現在流行のマジックの原型も見ることができた。
名もない黒人がコンテストで見せた2本の輪ゴムの貫通(今のクレイジーマンズハンドカフ)、ステージコンテストで見た口からのカードプロダクション。
(この人の名前を今どうしても思い出せないが、その後ジェフマクブライド氏が彼のステージでこの手順を確立させた。)
そしてマイケルウェーバーが野外で演じたカーディオグラフィックなど。

 そしてあるマジシャンのテーブルマジックの演技を見た。
ボブリトル氏である。目から鱗だった。
観客をいじめるのではなく自分自身を蔑むエンターティメント。
場内は大爆笑だった。そして私はまたピエロの話を思い出した。
私が求めている物がここにあった。そしてそれは簡単な事だった。
力を抜けばよかったのだ。
彼は華麗なフラリッシュやテクニックの存在自体を完全に否定し、単なる下手糞マジシャンを演じた。
しかしそれでいて摩訶不思議である。
それは観客に好感を与えた。
 もういてもたってもいられなかった。
早く長崎に帰ってみんなに力を抜いた演技を見せたいと思った。
しかし日程もあることだし、とにかく最後までスケジュールを消化した。
その間いろいろと面白いこともあった。
コンテスタントのナポレオンズ氏の部屋に泥棒が入ったり、久しぶりに菊地豊氏と彼の息子(現在のジミー菊地氏)にもディーラーブースで会った。
ショップは半端じゃない数だったのでホテル内ではなく立体駐車場での営業だった。
日本からも沢山のショップが来ていたがやはり海外のマジックショップに興味があった。
とにかくいろんなマジシャンのレクチャーノートを買い漁った。
そんな中もう一人面白いマジシャンと出会った。
トムムリカ氏である。彼のマジックも私に影響を与えた。
のちに彼もアトランタでマジックバーを経営していることがわたっか。(現在は閉店)
彼の演技の中でアンビシャスカードのラストに折り曲げた観客のカードを1組のカードの中に入れ、トップに踊り出るという現在では有名なマジックもこのハワイ大会で最初に見たのであった。

 吹っ切れた私はハワイを後にし日本へ帰る飛行機の中でまたぶち切れてしまう出来事が起こった。

13 ■■ サーストンの三原則 ■■ 2003-09-27 (Sat)

 つくづく余裕のない奴だと自分自身に嫌気がさすくらいつまらない事ではあったが、今までの自分を鏡で見てるようで、恥ずかしいやら怒りがこみ上げるやらでムカッとした事があった。
 帰りの飛行機の中で、あるプロマジシャンが私の隣のマニアさんにマジックを見せに来た。
そのマジシャンは私もマニアと思い、その態度(笑)で延々とカードのテクニックだけを得意そうに披露し続けた。
特に腹立たしかったのは彼より上手い達人はいないとばかりに見せつけられたセカンドディールの技法。
どう見ても酒匂氏の方が上手く思えたのだが、私がその時その技法をできなかったので反論すらできなかった。
つまりその技法ができない自分にも腹が立ったのだ。
 自分に対する怒りという活力源は絶大な練習意欲を掻き立ててくれた。
思えば中学校の頃キャラバンカードのブリッジサイズを1枚持って登下校中になにげなくバックパームの練習をしていた。
毎日やるとだんだんカードの親指の持つ部分が擦れて穴が開く。
そうしたら今度は反対側を持ち、また練習。
また穴が開いたら新しいカードでまた練習。
1組のカードがなくなる頃にはさすがに上手くなっていたが披露する場所も観客もいなかったことに気づきアホらしくなってやめた事を覚えている。
しかし今回は違う。
心に余裕を持ち、「力」を抜き、あらためてバーマジックを始める為にもいろんな技法を身体で覚えなければと思い、その当時の有名な技法はほとんど習得した。
現在でもその技法を果たして全て使っているかと言うとそうではないが、できると言うことが気持ち的に余裕を与えてくれている。

 長崎に帰ったその日から早めに店を開け、今までやってきたマジックのリストを引っ張り出した。
その当時完璧をモットーとしていた私は大学ノートに今まで来たお客に何を見せたか詳細に書いていた。
そのノートを眺めながらある事に気づいた。
あまりにもお客さんに見せるマジックの量が多いのだ。
考えればこれでもかこれでもかと機関銃のように事務的なマジックの羅列ショーであったわけだし、ひどい時は1組のお客さんに3時間以上もマジックを休まずやっていた日々がたくさんあった。
いろんな反省をし、改良し、あるいは改悪と分かっていてもお客さんを楽しませるよう考えた。
 面白いことに「力」を抜くといろんな物が見えてきたし、おしゃべりにも自然さが出るようになった。
思ってもいないことは言わないようになったし、逆に思ったことをスッと言えるようにもなった。
 以前は「そのマジックのタネを教えて!」と言われたら事務的にサーストンの三原則なんぞを持ち出したものだが、その後はそんな野暮な事も言わなくなった。
サーストンの三原則は素人にとって聞きたくもない説教だし、そんな説教なんてストリップ劇場で政治家の演説を聴かされるようなものなのだ。

 今まで観客にとって難しい言葉で優越感に浸っていた私は、180度言葉も変えた。
デックを1組のトランプ、シャッフルは切り混ぜる、コインはお金、テーブルマットは作業台(笑)などなど。
観客に変な所で頭を使わせないよう努力した。パケットトリックも以前はカードホルダーから取り出していたが超不自然だと思い、わざわざ1組のカードに仕込んでデックスイッチで自然に演じた。
 ところでよく見かけるテクニックで「フレンチドロップ」と言うのがある。私の大好きな大阪のマジックバーではない。(笑)
いろんなマジシャンのこのテクニックを見るがとても不自然にしてる人がいる。
左手のコインを右手で取る時、なぜあんなに右手親指の付け根まで持っていかなければならないのだろうか。
 例えばテーブルの上にコインがありそのコインを左手でつまみ、右手に取るという一連の動作を実際にやってみれば、今までのフレンチドロップがおかしいことに気づくはずだ。
そしてより自然な方法を見つけられる。
これは全てのテクニックに言えることだ。

14 ■■ ステージマジック ■■ 2003-10-04 (Sat)

 現在においてもテーブルマジックやステージマジック、そしてイリュージョン等を全てレパートリーにしているプロマジシャンは全国的にそうたくさんはいない。
特に東京・大阪のプロマジシャン達は全てに精通している人は非常に少ない。
それはその必要がないからだ。つまりテーブルマジシャンはそれだけで食えているし、ステージマジシャンも、イリュージョニストもそうだ。
そしてこれは趣味で好きなマジックを楽しんでいるマニアやアマチュアにも言える。
テーブルマジックは大好きだがステージマジックは見るのも嫌だという人や、まったく逆の人もいる。
あるマジッククラブでレクチャーに招かれた時、テーブルマジックを講習したのだが非常に不評だった。
前もって言ってくれていればステージのマジックを講習したのに・・・。
しかし、その人の中にもテーブルマジックしかやらない人もいる。
アマチュアのマジッククラブでの出張講習は難しい。好き嫌いが激しい人がいるからだ。
好きなマジックを勉強できる通販やマジックショップでの購買の方が良いと私は思う。
それか講習するマジシャンを選んでレクチャーに行くことをお勧めする。
ただ、マジシャンとして大きなお世話をすれば、レクチャー用のマジックの中にはその場ではとても不思議で感動的ではあるが、いざ家に帰って冷静に考えると演じる場所や環境、その他のシチュエーションを考慮すればなかなか演じるのに躊躇してしまう物もある。
これはマジック用具にも言える。
コンベンションで両手に大きな紙袋をぶら下げている人のほとんどは家に帰って、「なんでこんな物を買ったんだろう・・・。」と
呟きながらヤフーのオークション画面に向かってキーボードを打っているはずだ。

 話がそれたが26年前長崎にはマジシャンは私ひとりだったので、全てをこなさなければならなかった。
初めてお金を貰って演じたステージマジックは親父の部下の披露宴だった。
まだちゃんとした衣装などもちろん持っていなかったので普通のジャケットに蝶ネクタイというピンサロの呼び込み兄さんみたいな格好でステージに上がった。
スタンダードなシルク・ボール・カード・リングといった料理で言えばご飯・味噌汁・焼き魚・漬物といった定番のメニューをこなすつもりだったが少しひねって観客を沸かそうと思ったのが失敗だった。
勿体ない事までするからには観客は大爆笑間違いなしとふんだ私が間違っていた。
 リングのシーンでパロディをやった。
1本ずつ両手に持ったリングを連結するところで、わざとジャケットのボタンホールに通し、失敗を装いポケットからハサミを取り出し、そのボタンホールをハサミ切ってリングを外すと今度はハサミがリングに連結してしまうという手順。しかし観客たちは笑わなかった。
後で聞いたことだが、観客はなんと私が失敗したのだと思ったのだ。
もう情けなかった。
私にも観客にも。
 前にも書いたが一般の人が目の前でマジックを見る機会があまりにも少ない。
これは全国的に言える。
私はまず私が生まれた長崎の人々にマジックを見せていこうと思った。
本物を見せないとパロディなどで笑えるはずもない。
ちあきなおみを知らない人はコロッケの物まねは笑えない。
蛇足だが、最初にちあきなおみの物まねをしたのはピーターである。
「だからどうした」と言われたらそれまでだ。(笑)

15 ■■ フォース ■■ 2003-10-07 (Tue)

 店では観客に無料でバーマジックを披露しているがステージマジックではギャラを頂いた。
理由は簡単でバーマジックやステージマジックの消耗品や新しい道具代としてお金が必要だし、店を遅刻もしくは閉店しなければならないからだ。特にステージマジックには金がかかる。
いつまでもピンサロの呼び込み兄さんではいけないし、消耗品も多い。
恥ずかしい話だがこの当時は車を持っていなかったのでイレクターパイプで作った手作りのマジックテーブルをミニバイクの荷台に乗せ、タキシード姿で市内のホテルや会場などに乗り入れていた。
セットした髪もボロボロになった。
これを数年間は繰り返していた。
私が普通免許を習得したのは29歳の時である。
普通よりはるかに遅い。
しかしこれにも理由がある。
プロマジシャンとして頑張ればいずれ運転手付きの高級外車で営業できると思っていたからだ。
そしてそれがはかない夢だとわかったのが29歳の時なのである。
 
 菊地マジックの血筋を引く私は火を使ったマジックを当時から得意としていた。
その為公共施設の会場では裸火使用申請書を地元の消防局に提出しなければならない。
これは海外でも同じで、1996年に日本代表でラスベガスで公演した時にはもっとひどかった。
場所がラスベガスのバリーズという老舗のホテルでSAMのコンベンションでのこと。
ここは数十年前マジシャンの失態から出火し約200名のお客さんが命を落とした。
それもあって火を使うマジシャンにはピリピリしていた。
出番前にガッチリした背の高い、映画のバックドラフトさながらの消防職員が私にどこから火が出るのか尋ねてきた。
防火スプレーを吹き付けると言うのだ。
私はまずシルクハットを指差した。
彼はそれにスプレーした。続いてファイアートーチを指差した。同じく彼はスプレーした。
もうないかと言われ、しかたなく左手を指差した。
彼は困った顔をしたが、私の左手にも防火スプレーを吹き付けた。
これには笑った。
出番前の緊張がほどよくほぐれていい仕事ができた。
 ところが翌日、他のマジシャンがイリュージョンの最中(モナカではない)必要でもない特効(特殊効果)の為に意味のない所で大掛かりな火を出した。これにホテル側は怒り、急きょ全ての裸火使用をを中止した。
これはそのあとの火を使用するマジシャン達に多大な迷惑をかけた。
私以外にもフィックルファイヤーを使うマジシャンもいたのだが、使用できず苛立った彼は演技中手から火を出すシーンで「FIRE」と書いた紙を手から出し観客から爆笑と大きな拍手を貰っていた。
さすがアメリカンジョークである。
苛立ってもとっさにジョークを思いつき逆境を順境に変える彼に本物を感じた。

 とっさに逆境を順境に変える術は今までの場数と余裕でしかない。
以前の事務的な私ならこうはいかない。
例えばフォースしたいカードを観客が選ばなくてもその次の手順が控えているはずだが、フォースが成功してもまれに酔ってたりおしゃべりが多くてそのカードをうっかり忘れてしまったとする。
カードはもう切り混ざって大体どの辺にあるかさえもわからない。
さあどうするか。
つまり観客にカードを手渡しよく切り混ぜてもらって好きなカードを1枚心に思ってもらうような状態だ。
トリックカードならともかくレギュラーカードで観客はきまぐれに心に思っただけだ。
私ならまず1組のカードから思ったカードと同じスーツのカード全てを裏向きに出してもらう。
つまり思ったカードがハートの7なら7のカード全てを出してもらい裏向きにして切り混ぜさせ、テーブルに並べてもらう。
観客に1枚だけ裏向きのカードを選んでもらう。
そのカードを表向きにして観客の思ったカードならそれでOKだ。
もう観客はそれだけで驚くだろう。
4分の1の確立だが全ての行為は観客が行っている為、奇跡だと思われる。
さあ、問題は観客のカードではなかった場合だ。
他の3枚も1枚ずつ表向きにして選んだカードを指差してもらう。
そのカードを持ち上げると下からコインが現れる。
残り3枚のカードの下からもコインが1枚ずつ現れるのだ。
あとは出現した4枚のコインでマジックをやればよい。
観客はコインの出現で選んだカードを当てなかった事を忘れる。
つまりそれ以上のビジュアルな演出をすればよいのだ。
マジックの前に「選んだカードを当てるマジックをします。」とかいう野暮な事は言わないことだ。
それよりも一番大事なことはフォースしたカードを絶対に忘れないことなのだ。

16 ■■ きっかけ ■■ 2003-10-08 (Wed)

 この「Monologue」をご覧頂いている皆さんのマジックを始めた『きっかけ』はなんだろうか。
私の知り合いの多くはマジックを始めたきっかけを「女の子にもてたかったから」と気さくに言う。
私も最初に書いたとおり幼稚園の頃、隣の組の可愛い女の子の興味を引く為にマジックをやった。
これが果たして不純だろうか? 
もしグラマーで可愛いブロンド娘からメール交換を誘われたら誰でも英語を懸命に覚えることだろう。
そしてその語学力がその後の人生に大変役に立ったとすればそれは素晴らしいことではないだろうか。
もちろんそれ以外のきっかけも多いだろう。
例えば歌が苦手だったからとかTVで見て自分でもやってみたかったからとか忘年会で人気者になりたいからなどなど。
理由はともあれ、その全てに観客の存在がある。
逆に言うと観客なくしてマジックはありえない。
マジックを覚えて観客の前で披露し、その観客が驚きと喜びで感動している風景を想像するととても楽しいものだ。
どんな人間だって悪い気はしないはず。
但し以前の私のように高慢な態度なら別だが。

 観客にはいろんな性格の人々がいる。
私がデパートのマジック売り場の買えない常連だった小学生の頃、実演している販売員を見ている観客を見て私は面白いことに気づいた。
ある人は驚き、ある人はタネが分からないと首をかしげ、ある人は笑い、ある人は隣の連れにコソコソと耳打ちし、そしてある人は胡散臭そうな顔をしている。
その時思ったのはマジックというたったひとつの映像を見ていろんなリアクションができるものは他に存在しないのではなかろうかと。
そしてそのリアクションを引き出すのもまたマジックなのだ。
 現在も私はいろんな観客と出会う。
そして非常に楽しい。私のマジックを見て面白いコメントをする観客が非常に楽しいのだ。
まず一番多いのは「なんで!」だ。
『上手だから』と返す。観客は笑う。
「今のはほんとうにマジックですか?」
『マジックです』
「いや、超能力だ!マスターは超能力と言えない何らかの理由があり、それを隠しているんだ!」これも笑った。
もっと簡単に済ませた観客もいた。
「これはマジックじゃない。CGだ!」とか「マスターは宇宙人だ!」そうとう酔っていたのだろう。
そして必ず聞かれるのは「いつ頃からマジックを始めたのですか?」とか「きっかけは何ですか?」だ。
特にTVや雑誌・新聞などの取材では絶対に聞かれる。

 たぶん小さい頃インド大魔術団の日本公演中にその団の偉大なマジシャンから君はマジックの神童としてこの世に生まれたのだからこの日本でマジックを世界的に確立させなさいと言われ開眼し、瞑想中に次々と凄いマジックが閃き世に発表しようとした時、父親が病気で倒れやむなくマジックを断念して医療費を稼ぐ為に日々新聞配達をしていたらたまたま新聞を取りに来た大富豪から君はなにか光ってるからその光を見せなさいと言われ、マジックを見せたら非常に感動して君はこんなことをしている暇はないのだからすぐにでもマジックを世に広めなさいと言われ彼の援助で現在の私があるとでも言えば記事になるのだろうが、世の中そんなことはめっ・・・・・ったにない。
いや絶対にない。

 小さい時から始めたのは間違いないが、それがマジックが上達した要因ではないし、長くやれば良いと言うものでもない。
そしてきっかけもたいしたものではないのでマジシャンという特殊な職業はそう簡単にはなれないものだと思っているマスメディアだけには驚きと喜びと感動を与えることはできない。
すると彼らは食い下がりながら必ず、「貴方にとってマジックとはなんですか?」と聞いてくる。
 『仕事です。』と私は答えている。取材を受ける時だけはつまらない私だ。

 現在まで誰からも聞かれなかったが、貴方はマジックが好きかと聞かれたら私はわからないと答えるだろう。
なぜならトランプや鳩などがマジックの道具ではなくマジック自体が観客を楽しませる道具だと思っているからだ。
もちろん観客を楽しませる道具を嫌いだとは思わない。ただマジックはやり方次第で凶器にもなる場合がある。
マジシャンとして演じれば人を幸せにする素晴らしい道具だが、マジシャン以外の邪悪な人間が演じればそれは人を不幸にするのだ。
要するに誰がマジックを見せるかが一番大切な問題なのである。

17 ■■ 超能力 ■■ 2003-10-11 (Sat)

 なぜ『要するに誰がマジックを見せるかが一番大切な問題なのである。』なのかを少し話しておく。

 もし貴方がマジックを誰も知らない田舎に行って村人の前で神社の御札を宙に浮かし瞬時に閃光と共に消え去るマジックをやったらきっと神がかりの人間だと思われることだろう。
そして貴方はマジックだとは言わずに不思議な能力を神から授かってこの村に行くように啓示を受けたと言えば、やり方次第ではマジックショーのギャラの数十倍の大金を手にすることができるし、皆から羨望の的、尊ばれることだろう。
 そこへマジシャンが現れて「実は彼のはマジックです。」と言って神がかりの男と同じ事をしたとしよう。
村の半分はやっぱり神の化身じゃないと失望し、怒り狂うだろうが、残り半分の村人はマジシャンの言うことをたぶん信じないだろう。
理由は神秘的な力の存在を信じたいという気持ちと、初めて生で見た不思議現象を信じた自分の存在を否定したくないからだ。
この後者の人間が「偽」神の化身に多額の寄付をした人達である。
アヒルだって卵から孵った時に最初に見たものを親だと信じる。
初めて見た不思議現象を演じた人がマジックだと言えば良いことである。
ところが初めて見せた観客から「これはマジックではない、超能力だ!」と言われ、ついつい否定できないでそのまま超能力者と呼ばれながら気持ち良い響きの中で羨望と言う陶酔の中に浸っていた喫茶店のマスターを私は知っている。
マジックの道具にはいろんな物がある。
メンタル系の中には相手の住所や電話番号などを密かに読み取れる道具も多い。
それを悪用して「現象」以外の目的で観客に迷惑をかけてはいけない。
マジックの為以外にマジックをやってはいけないのだ。
孫の病気を治してもらいたい為に足の悪いお婆ちゃんが杖を持ち替えながら炎天下の中、2時間も野外に待たせるような超能力者はこの世には存在しないし、もちろん病気も治せるわけがない。

18 ■■ マジックバー心 ■■ 2003-10-19 (Sun)

 1977年にオープンした「スナック心」から近くの1階に移転して屋号を「スナックニュー心」にしたのが1980年。
そして1982年7月23日あの長崎大水害が発生し店も腰辺りまで浸った。
まず何よりカウンターの下にあったマジックの道具を棚の上へ。
大事なものから順に非難させた。最後に残ったお客さんのボトルはプカプカと水面に浮かんでいた。
ドアを開けていたのでそのボトルたちは流れていった。
ほんとにボトルが流れたのだとあきらめた。
そしてその後店舗を改装して「マジックバー心」に屋号を変更し本格的にバーマジックの店を作った。
ピアノ型のカウンターを作りその中央をくり抜いて、そこで360度見せられるバーマジックをやった。とても便利だった。
約12名が座れるカウンターで全員に見せることができ、水割りを作るのも移動しないでそのくり抜きにいたままでできた。
入り口のドアを3つにしてしかも各1枚のドア左右に取っ手を取り付け、1発で入店できる確立を6分の1にして話題をさらったが、開けれないお客が閉店と勘違いし帰ってしまい逆にお客さんを減らしてしまったようだった。
このピアノ型テーブルのお陰でラッピングに頼らないようになった。
もちろんラッピングは素晴らしいファンクションである。
非常に便利でマジックを本当の魔法に換えてくれる。
しかしこのラッピングを自分のレパートリーから外したことでのちの営業にとても役立つことになった。
それは現在でも月に1回か2回は必ずスケジュールに入っているレギュラーのショーのことである。
その仕事は前半はステージにてのサイレントのショーを公演し、その直後にメインテーブルの主賓の前でテーブルマジックを演じるのだが、他の来賓が私の周りを囲む。
ひどい時はメインテーブルには5名程度だが私の左右と後方に40名ばかりが群がる。
ジャケットを着用し、クロースアップバックが横に1つ。
酔った観客はそのカバンを開けるわジャケットのポケットに手を入れるわで史上最悪のシチュエーションである。
トピットも考えてみたがジャケットの中も覗かれる。
そんな中で限られるマジックを最大限に見せるという技を体得した。
今では後ろ向きでマジックが出来る・・・はずはないが。
来店頂いた方や私のビデオを見て頂いた方はご存知と思うが、店ではいつものエプロン姿でマジックを演じている。
エプロンやジャケットのポケットはうまく使うとトピット以上に効果がある。
問題は肩の動きなのだ。
手先や腕だけを動かすのではなく肩を動かすことで自然な死角を作り出す。
ただスライディーニ氏はやりすぎだったと思うが。

19 ■■ 世界大会優勝 ■■ 2003-10-20 (Mon)

 1988年、場所を変えて現在の坂本1丁目にマジックシアターを開店した。
この店は2階のテナントビルでドアをたくさんつける余裕がなかったので1枚ドアだが取っ手を逆に取り付けて取っ手がない方を押すと開くように仕掛けた。
約25坪の店内には長いカウンターと奥には半円形のボックステーブル、そしてカウンターの中にステージを設置しどこからもステージが見えるように設計した。
もうこの時はお袋は引退したし、スタッフも必要だったので長崎大学の学生さんを数名バイトとして雇った。
その中には現在当店の会員制クラブ「マッドクラブ」に入会している人がいるのも非常に嬉しいし微笑ましい。
マジックは初めてと言う学生が多かったので最初に教え込んだのは簡単なセルフワーキングのトリックだった。
お客さんが多いときに私のマジックを待っている間が彼らの出番である。上手い下手とかの問題ではなく、とにかくお客さんを飽きさせないように仕込んだ。
延べ30名以上の学生やフリーターがマジックシアターから卒業したり途中でいなくなったりしたがその後プロになったのは2名だった。
多いのか少ないのかは分からない。

 翌年の1989年に北九州プリンスホテルの開業イベントで世界大会を開催するというニュースが入ってきた。
そして世話になっている人からそのコンテストに出て欲しいとの要請を受ける。
前にも話したが審査員にマジックを見せるつもりはないので断る予定であったが、世話になった人のことや自分のステージマジックがどれくらい世界に通用するかなどいろいろ考えた。
も少し考えさせて欲しいと言いながら手順を考えていた。
 その当時の流行はやはり鳩である。チャニングポロック現象が今だ尾を引いていた。
私は鳩はやらない。
一番の理由は可哀想である。ハンカチから出てくるために生まれたわけではないのに、羽根を抜かれギュウギュウ詰めにされ出番がない時は邪魔者扱いにされる。
そしてもうひとつの理由は観客の中に生理的に鳩が嫌いな人がいるからだ。
鳩に限らず動物嫌いな人がいる。
そして私の営業場所はほとんどホテルなので飲食中での鳩出しを嫌がるクライアントもいる。
気持ちがわかる。
鳩は所構わずフンをする。
よく馴らさないと客席へ飛んでいく。
飛び回ったら観客はマジシャンを見ないで飛んでいる鳩を見る。
その間に2羽目を出したら卑怯者と言われる。
観客は正直だ。ほんとに不思議なマジックを見た時は拍手をしない。
いやその余裕がないのだ。
拍手が無いからと嘆くものではない。
もしかしたら不思議だったのかもしれないのだ。

 ところでその当時の流行や審査員の顔ぶれを知ると自ずと鳩出しをメインにしなければならなくなった。
幼鳥を10羽ほど買い、調教を始めた。
鳩も利口と馬鹿がいるので見極めながら調教していった。
馬鹿はシルクから出し、利口はベアやトスで出すようにした。
しかしカウンターの中の小さなステージでは本格的な練習ができないので奥のボックステーブルを壊しステージに改装した。
そして燕尾服もいるのでわざわざ大阪からテーラーさんを招いてそれ用の服も作った。
これで優勝できなかったら絶対悔やむということばかりをやった。
その為練習にも熱がはいるし、選曲にも頭を使った。
5分以上で7分以下という規定通りに編曲し演技に合わせて起承転結を施した。
そしてビデオを見て何回も演技を修正し手直し、アシスタントは着火石で親指が血だらけになっていた。
やるだけのことはやったとは思えなかったがとうとうその日がやってきた。
初めてのステージコンテスト出場である。
演技に慣れると音楽より演技が先行してしまうことがあるので気をつけた。
ところが音出しのリハーサルの時、出た音楽のテンポが非常に遅いのだ。
東京から来たプロの音響さんが言うには東西の周波数の違いではと。
困ったことになった。
ただでさえ演技に慣れきってしまったのに。
とにかくどうしようもないと言うことで、ここでもテンポの遅さで優勝できなかったら絶対悔やむと思った。
さあ自分の出番である。
ファイヤートーチにオイルを染み込ませステージ中央に後向きの板付け状態での登場だった。
ところがまたまた厄介なことがおきた。
司会の紹介が長いのだ。「次は小川心平さんです。」でいいのにプロフィールをダラダラと読む。
だんだんオイルが蒸発していく。
もし火が着かなかった為に優勝できなかったらこれこそ悔やむに悔まれない。
たまりかねて袖にオイル補充しに行こうとした瞬間、「では小川心平さんです!」ときたもんだ。
幸いトーチに火は着いたがドキドキものだった。
その後この経験から蒸発しないファイヤートーチのホルダーを開発した。
逆境は順境に変わった。

 演技終了後、袖の準備スペースに戻ると腰が痛くなって立てなかった。
よほど緊張していたのだろう。
ただ自分では満足のいく演技ができたと思った。
しかも演技直前にゲストのマーカテンドーがステージ靴の裏に滑り止めの水を素手で塗ってくれた。
たまにはいい奴だと思った。
そして長崎からも応援団やバイトの連中が来てくれていた。
皆よかったと言ってくれた。
皆のお陰でここまで来れた。この時はじめて優勝しなくてもいいと思った。
審査員には見せたが、沢山の観客にも見せることができたのだ。そして喜んでくれたのだ。

 着替えて皆と近くのレストランで酒盛りをした。
たぶんビールを3ケース程開けたと思う。まだ昼なのに。
そして誰もが優勝できなくても最高のマジックを楽しませてもらったと言ってくれた。
私ももう優勝には拘らなかった。
世界中の有名なマジシャン達の前で、そして応援してくれたみんなの前で、そしてお世話になった人の前で満足できるマジックをさせてもらったのだから。優勝や審査員の為じゃなかったんだと思うとふっきれた。
もうコンテストには絶対に出ないとこの時に決めた。今もその気持ちは変わらない。
ワイワイしているとゲストの深井洋正氏&キミカさんのキミカさんが私を探しに来た。
飲んでいる場合じゃないそうだ。
聞くと審査員会議に出てた深井洋正氏からの伝言で私がグランプリ優勝に決定したので、夜のガラショーでまた演技をしなければならないそうだ。
この時周りは大騒ぎしたが、私は酔っていたせいかまた準備をしなければならないのかと逆に冷めていた。
こみ上げる感動は翌日の朝食の時のあの出来事まで持ち越しになった。

20 ■■ 世界大会優勝2 ■■ 2003-10-21 (Tue)

 翌日すべてのスケジュールも終わりホテルで朝食を取っていた。
隣の椅子には黄金に輝く優勝カップがその存在をアピールしていたが、このカップの所有者は審査員が決めたことだ。
審査員だって好き嫌いがある。
また鳩かと思った人もいただろうが、たまたま気に入られたのだろうと思いながらコーヒーを飲んでいた。
すると後方から私の肩を軽く叩き英語で「おはよう、そして優勝おめでとう、感動しました。」と笑顔で話しかけてくる外人が現れた。
この大会には世界的に有名なマジシャン達を惜しげもなく招聘していて、以前からの友人や今回友人になった外人マジシャン達が回りにウヨウヨいたので、その中のひとりかなと思い、振り返って驚いた。
そこに立っていたのは、なんと1982年FISM大会のグランドチャンピオン、ランスバートンだったのだ。 
ご存知だとは思うが彼もこの大会にメインゲストとして事務局から招待されている現在ラスベガスのモンテカルロホテルのドル箱スターで鳩の演技では世界的に定評がある素晴らしいマジシャンなのだ。
にわか作りの鳩の手順で優勝した私を探し出し挨拶をしたかったそうで、これには非常に感動し、とても嬉しかった。
もし優勝しなかったらこれはなかったなと思うとやっぱり優勝しててよかったのだと思い直した。
なんとも平気で何回も心変わりをするつまらない男だと自分に変に感心しながら彼と談笑した。

 この鳩出しの手順はこの大会だけで封印したので、優勝カップも意味の無いものになった。
偉そうに言えば過去の瞬間の栄光の遺物なのだ。
優勝報告会を長崎で開催したときにこのカップで皆でビールを飲んだ。
そして倉庫に眠らせた。
問題は今後である。
実はこの大会で名も知らぬ長崎に住むマジシャンが優勝した事でいろんな所から出演の依頼が来たのだ。
しかし優勝した手順はやらない。
困ってしまった。
優勝手順と同じくらい観客が喜ぶマジックを考え直し新しい手順を作らなければならないのだ。
大変な事をしてしまったと少しだけ後悔した。

21 ■■ マッドマジック ■■ 2003-10-25 (Sat)

 マジックシアターではせっかく作ったステージでのマジックショーとカウンターでのバーマジックを演じた。
ステージは1日2回程度私が、そしてテーブルマジックはお客さんが来たら私やバイトの子達が随時演じていた。
この頃は毎年リサイタルを公演していたので、バイトの連中にもステージマジックを披露させた。
思えばマジックに基本はないのではないか。
例えばカードマジックではカードを切り混ぜる事ができなくてもマジックはできるし、コインもフレンチドロップができなくてもできる。
シルクのフォールスノットができなくても鳩は出せるし、イリュージョンなんて基本と言われるものはない。
どんな現象をやるかでマジックの練習方法が変わってくるのである。
もちろん歩けないと走れないのだからそれなりの知識は必要であろうが。
 バイトの子達に限らず、人にマジックを教える時はまず現象を見せて、その後必要な用具をテーブルに並べ各々の役割ややり方を教えた。
マジック用具には観客に見せていい物と絶対に見せてはいけないもの、そして最初は見せないが、あとで見せるもの等があることをここで教える。そして練習をさせ、ある程度できたら見せてもらう。
この時にダメ出しは禁物である。
初心者への演技に対する厳しい批判は狼狽させトラウマとなってしまう。
まずい所を理解させながら添削していく。
そして進歩したら褒めてやる。そしてその継続のために練習をしてもらう。
まさに山本五十六氏の教えだ。

 もう今は人に継続して物を教えるエネルギーは無く、通販のビデオ撮影が限界だ。
しかしいまだに弟子にしてくれとかマジック教室は開かないのかとかいう連絡が来るが、すべてお断りしている。
そう言えば私がここ数年TVに頻繁に出演したときに、長崎で面白い現象が起きた。
私に弟子がたくさんいるそうなのだ。
と言っても実際は違っていて、スナックのおねいちゃんにマジックを見せたお客さんが、そのおねいちゃんから「小川心平って知ってる?」と聞かれ「私は彼の弟子だ。」と言ったそうで、そんな話をよく聞くようになった。
まだ弟子ならいいが「彼には私が教えたんだ。」と先生まで現れる始末。
有名税なのか。
 またコンベンションでゲスト出演し、帰り間際に若い男性達が私のところに来て、面白かったったから頑張ってくれとか、ファンだから頑張って下さいとか言われる。
私が君達もマジシャンかと聞くと、いや予備校生だとの答え。
彼らこそが頑張って欲しいと思うのだが。

 1991年11月30日長崎西洋館にマジックショップ『マッドマジック』をオープンした。
やはりマジシャンなら一度は極彩色の綺麗なマジック道具を棚に並べてコーヒーメーカーを設置し、マニアや愛好家の憩いの場所、マジックショップを経営したいと思うはずだ。
儲からないとは分かっていてもやはりやってみたかった。
幸いこの長崎西洋館に私の同級生がいて彼が出店の話を持ってきた。
快諾しオープン前にアメリカに渡り、いろんなマジック用具を仕入れた。
その中に紛れ込んだ1枚のポスターがマッドマジックを違う方向へ走らせた。

22 ■■ 3Dポスター ■■ 2003-10-29 (Wed)

 さまざまなマジック用品を仕入れたのでそのポスターを買ったのかさえ覚えていなかったが、そのポスターはピンク色の紙にテレビの砂嵐みたいな模様が黒でプリントされていた。
数十枚が丸まった状態だったので四隅を錘で固定し、よく見たが何がなんだか分からなかった。
仕入れた商品をパソコンに入力する仕事が続き一服しながらボケッと何気なくそのポスターに目がいった、と言うか焦点はポスターの表面ではなかったのだがそれが良かった。
しばらくするとそのたった1枚の紙からドドーッといろんな図形が立体的に現れて来たのだ。
あの一世を風靡した3Dポスターなのである。久々に興奮してしまった。
今はあまり無いだろうがトイレの小さなタイルが目の前にありボケッと用を足しているとたまに焦点がずれてちょっと立体的に見えることがないだろうか。
その現象だ。
これはマジック用品よりウケるし売れると思った。

 マッドマジックをオープンし、お客さんからよく見える所にポスターを飾った。
もちろん極彩色のマジック用品も作りたての棚に綺麗に並べ、コーヒーメーカーも取り付けた。
初日から大勢のお客さんが連日訪れてくれたが、ポスターの方は全く売れなかった。
見えない人が多かったし、紙切れ1枚の値段が安くはなかったのである。
非常に困った。
と言うのも絶対に売れると思い込みこのポスターの製作者であるアメリカのメーカーから5年間の日本独占販売権を高額で買い取ってしまったのだ。
半ばあきらめながらせっせとマジック用品の店頭販売を続けた。
もちろん相変わらずポスターは売れなかった。

 ある日マジックシアターに東京の雑誌社から記者が来て私はマジシャンとしての取材を受けた。
その時マジックシアターにも飾っていたポスターを彼は見つけ、何かと聞かれたので説明してなんとか彼はその立体映像を見ることができた。
ご存知の方も多いだろうが苦労して見えた時の感動は言葉では言い尽くせないほどだ。
彼も興奮して3時間かかった私の取材記事を後回しにし、このポスターの特集記事を掲載したいと申し出た。
マジシャンよりポスターかとは思ったがなるべく高額な日本独占販売権料を取り戻したかったのですぐに応じた。
 数週間後その雑誌が全国的に書店はもとより、キヨスクやコンビニなどに出回った。
月刊誌だったので1ヶ月くらいは少しくらい注文が来るだろうと思っていたがとんでもなかった。
なんと連日問い合わせも含め平均100本以上の注文の電話が入った。
開店前に留守番電話を聞くが毎日テープが最後まで録音されていた。
私やスタッフは電話番になってしまい、もうマジックショップではなくなっていた。
宅配業者にポスターを入れる設計図専用ケースを大量に仕入れ、それが所狭しとショップの中に氾濫していた。
その雑誌をみた別の雑誌社がまたまた記事を掲載してくれる。
これが幾度となく繰り返されていった。
そしていろんな電話がいろんな人間からかかった。
仏像が現れるポスターを作って欲しいという怪しい新興宗教からの電話や会社のロゴを作ってくれとかカラーはないのかとか、CDジャケットにしたいとか、いろんな事を考えるものだと感心したがその当時製作もできないしポスターを売るだけで大忙しだったので全て断った。
ただ、これだけ社会現象にもなったポスターなので世話になっていた大手マジックメーカーに紹介したら早速商品化しだいぶ儲かったようだ。
少しくれと言いたかった。
最初にこのポスターを記事にした雑誌社も3Dポスターの専門本をいくつか出版し好調に売れているようだ。
最近になって「目が良くなる」とか言う謳い文句でまた3Dが流行りだしているが、日本に初めて3Dを紹介して他人よりはるかに3Dを見てきた私は未だに近視で遠視で乱視だ。

23 ■■ 想像力 ■■ 2003-11-06 (Thu)

 3Dポスターのブームは約2年で終わったが、お陰さまでマッドマジックは素人さんはもとより、プロやマニアの人達もたくさん訪れてくれた。
ただ訪れた人々の数と売上げは必ずしも比例しなかったのはやはり私が商売下手だったのだろう。
しかしそれではいつか潰れると思い、店頭販売と同時に通販の業務もやった。
現在のようにインターネットはなかったのでカタログを製作し、買ってくれそうな人達に不定期に送った。
その人達の中には超能力マジックしか買わないが上客だった喫茶店のマスターもいた。もう売ってはいないが。

 ところで学生ディーラーの時から少し気になっていたのがマニアの人達の言動だ。
もちろん私も学生の時はプロではなかったのでアマチュアかマニアかオタクだったのだろうが、少し私と違うなと思うことが今でもある。
それはマニアの人が全部ではないのだが、道具に対しての異常なまでのこだわりである。
たぶんマニアには2通りあるのだろう。
ひとつはマジックの現象にこだわる人、もうひとつはマジックの道具にこだわる人だ。
当然、両方にこだわっている人もいるだろうし、逆になんのこだわりもなく幸せにマジックしてる人もいる。
 道具にこだわる人は例えばトリックコインの精工さを神経質に訴える。
詳しくは言わないがシガースルーやフォールディングのカット目や重さや大きさなどなど。
私の使用している出来が悪くて商品にならないトリックコインを見せてやりたい程だ。
もちろんせっかく購入するのだから出来のいいものがベストなのだが・・・。

 私は観客から借りた硬貨をスイッチした後、そのままテーブルに放置する。
そしてその硬貨をすぐに使用せず、関連性があるマジックをまず演じる。
観客は自分のお金がテーブルにあると言う認識の下でマジックを見ているので疑いはない。
しかも私は他のマジックを演じている。
この相乗効果でテーブルの出来の悪いトリックコインは観客の視界から消えているのだ。
ところで「私のお金を使うと怪しいので、貴方のお金を貸して下さい。」と言うせりふはいけない。
観客にとってマジシャンは怪しいお金を持っている可能性があると認識させている。
とにかくどんなマジックを演じても自ら「怪しい」とか言う単語はコミックは別として使ってはいけない。
ほんとにトリックコインを使わないマジックの時はそんな言葉は出ないはずだ。
「ここに普通の100円玉があります。」の「普通」は余計なのだ。
マジックが大好きな人は良い人が多いと昔聞いたことがあるので、マジックを演じる時は自分に嘘がつけないのだろう。
観客はマジシャンの手つきを見るが、それ以上マジシャンの目を見ている。
つまりマジシャンの視線の先を追いかける習性があるのだ。
だから見られたくない所は自分も見ないと言う法則が自ずと生まれる。
先ほどのテーブルの硬貨と同じである。
これは「綱渡り」ではない、「タイミング」なのだ。
 それとマジック用具はその説明書通りにやる必要は全くない。
どんなマジック用具でも説明書の現象と違うそれがあるはずだ。
例えばシガースルーはタバコを貫通させる現象だが、私はタバコを貫通させていない。
以前はそうしていたが観客のタバコの直径がいろいろ違うし、私はショートホープだ。
そこで観客から100円玉と1万円札を借り、お札をタバコのように丸めて貫通させている。
貫通直後丸まったお札の穴を見せ、穴から向こう側を見せるとなぜか観客は非常に驚く。
説明書はマジシャンの想像力を乏しくする。
見てもいいのだが、なるべく違う現象を考える想像力を培うべきである。

24 ■■ ちょっと休憩 ■■ 2003-11-10 (Mon)

先日マッドクラブの会員さんからMLのアンケート取材を受けたが、ここでMonologueも休憩の意味も込めそのアンケートの答えや加えて趣味やお気に入りなどを単に羅列してみようと思う。

まずはその会員さんからのアンケートから・・・

Q アルコールは入ってますか?

A 午後9時から明方未明まで毎日入れています。ブランデーを1日1本ヤクルトみたいに飲み干します。
  牡蠣肉エキスと凝縮ニンニクエキスのお陰で26年間肝臓で倒れたことはありません。

Q マジックをお始めになったきっかけは?

A 財産と名声を得るため。(笑)

Q マジックの魅力は何でしょう?

A 難しい国家試験や面倒な関係各所への届出がいらないで勝手にプロと言い張ることができる楽な職業で、相手が知らないことを知ってる優越感とそれに伴う報酬が得られる唯一の仕事。

Q マジックを演じる上で気をつけておられることはなんでしょう?

A 演じる場所や観客の雰囲気をいち早く把握すること。

Q シビアな話ですが、「タネ明かし問題」についてどのようにお考えですか?

A タネ明かしは良くないですが、それよりタネが観客にバレる方がもっと良くありません。
  しかもマジックができない人間にかぎってタネを教えたがります。
  タネ明しと指導は基本的に違います。昨年末の私のTV出演はマジック指導であり、タネ明しではありません。
  実際にこのTVをきっかけに本格的にマジックを始めた人達もたくさんいます。

Q アマチュアマジシャンに一言お願いします。

A おしゃべりも現象も想像力です。想像力を培ってセンスを生かし、勢いとタイミングでマジックを楽しんでください。

Q もしマジシャンになっていなかったら、今頃何をなさってたでしょう?

A 考えたことがありませんが、たぶん水商売でしょう。(笑)


以下は今まで受けた事がある質問とその答えです。

Q マジックの後、お客さんから「なんで?」と言われたら?

A 「上手だから。」とか「偶然、偶然。」

Q 好きなマジシャンは?

A アメイジングジョナサン フィールディングウエスト

Q 趣味は?

A アマの頃は趣味がマジックだったのですが、それが仕事になったので他の趣味を探していました。
ちょうどバーをやっているのでお客さんに美味しい料理を出して、いい酒いい肴いいマジックを楽しんでもらおうと、現在は料理にはまっています。

Q では得意な料理は?

A 1週間かけて作る欧風カレー。
2日かけて澄んだスープを作り、オリジナル香味野菜のピューレや独自配合のスパイスなど、時間をかけたすべて手作りの美味しいカレーです。日本料理も得意です。
  
Q 休日はどう過ごされていますか?

A 基本的に休みはありません。マジックシアターやマッドマジックが店休の時はどこかで営業の仕事をしてます。
東京・大阪での仕事の時は合間を見て東急ハンズで遊んでいます。
後輩のマジシャンにも言ってますが、マジックショップに行くより東急ハンズやホームセンターなどで遊ぶほうが想像力を鍛えられます。

Q マジックを演じるにおいて一番大切なことは?

A タイミングです。アバウトな言い方かもしれませんが、マジックはすべてタイミングです。
これは演じる時だけじゃなく、それとは別に演じる場所や雰囲気にも言えることです。
新しいマジックを覚えて、誰かに見せたい時がありますが、その見せたい人が見たい時なのかも判断しなければなりません。
場合によっては演じない勇気も必要なのです。

25 ■■ ショップ閉店 ■■ 2003-12-10 (Wed)

 1998年長崎西洋館のマッドマジックを閉店し、7年間の店頭販売業務にピリオドを打った。
理由はやはり店頭販売は少し無理があった。
赤字にはならなかったがショー公演やマジックシアターの営業、インターネット通販の拡張などでだんだん忙しくなってきた。
せっかくマッドマジックに来てくれたのに看板男が不在の時も多々あったし、店自体も休む時が多くなってきた。
閉店に際し、ある特定のお客さんを切らなければならないことにも気づいた。
それは、今後ネット通販のみでの営業をするにあたりネット通販を利用できないお客さんがたくさんいるのだ。
老人ホームで手品を披露するお年寄りが赤いシルク1枚も買えなくなってしまうのである。
これには心痛んだが、仕方ない。ただ、今でも電話して頂ければマッドマジックで店頭渡しはしている。
カタログ通販も商品が非常に流動的になってきたので廃止した。
 
 マッドマジック閉店と共にマジックシアターを大幅に改装した。
マッドマジックの事務所をマジックシアターと併合したのだ。
以前のマジックシアターのステージや長いカウンターは消滅し、広いフロアに2つのテーブルを配置した。
壁ひとつ隔てて前あったステージ側はマッドマジックの事務所を作った。
そして趣味の延長の証として厨房を大きくし、小さなレストラン並みの設備を整えた。
現在、冷蔵庫4台、冷凍庫1台、その他調理器具多数、バカじゃなかろうか・・・。

 この改装に伴いバイトマジシャン達を雇うのをやめた。
以前は私がショー公演で留守をしている時はバイトの子が店を開けお客さんにマジックを見せていたのだが、お客さんはドアをけて私の存在を確認し、いなかったら帰ってしまう。
いくらバイトマジシャンに自分の存在アピールを強調させてもやはりポイズンマジシャンである私の存在がお客さんには強いのだろう。
そして今では私が県外で泊まりのショー公演などで店を開けられない時は完全閉店しているしお客さんも来店時は必ず確認の電話をしてくれる。

 マッドマジックとマジックシアターのプチ歴史はこのくらいにして今後は思いついたマジックに関することを徐々に書いていこうと思う。
もちろん思い出した昔の話も多分出てくると思う。

26 ■■ 年末お歳暮レクチャー ■■ 2003-12-10 (Wed)

 一息入れて、ここでお父さん達にお歳暮代わりに面白い超能力マジックを紹介しよう。
現象はこうだ。家で子供達がテレビを見ている。
そこにお父さんが登場する。そしてこう言う、「お父さんはテレビのリモコンで面白いことを発見したんだ。
テレビのリモコの電池を入れる所のフタを取ってごらん。
そしてそのフタだけ持ってテレビに向かって『エイ!』と言ってごらん。」 
子供が言われた通りすると、テレビの電源が切れてしまうのだ!
驚いている子供達にもう一度『エイ!』と言わせる。
すると今度はテレビに電源が入ってしまう! 
これは家庭だけではなくテレビがある所ではどこでもできる。

 やり方は簡単だ。
携帯電話を使うのだ。
最近のケータイはiアプリにTVリモコンが付いている。
TVのメーカーを選択すればON、OFFはもちろんチャンネルまでも変えられる。
これを利用するのだ。
リモコンをトイレなどで操作するTVのメーカーに設定し、こっそりと左手に持ちボタンを押すのだ。
子供達(飲み屋のねーちゃん達)はテレビとリモコンのフタを見ているので全く気づかない。
ましてはリモコン自体近くにあるのでケータイの存在にまでは頭が回らない。

 このトリックは色々と応用が利くはずだ。
私自身数十種類のマジックを考え出した。
しかし、その応用はここでは紹介しない。
なぜなら皆さんのセンスと想像力に期待したいからである。

27 ■■ 観客について ■■ 2003-12-23 (Tue)

 よくマジックを見せる時、観客側のエチケットのなさやマナーの悪さが会員さんの掲示板でも話題になった。
これはマジシャンにとって永遠のテーマだ。
観客の中には2種類がいる。
まず協力的、好意的な観客と非協力的で意図的な探究心がある観客だ。
前者はマジシャンに自信を与えるが後者は自信を潰しテンションを下げさせる。
もう1種類の観客がいる。
それはマジックに全く興味がないのにたまたまその現場に居合わせた観客だ。
この種の観客がマジックを好きになるか嫌いになるかは単にマジシャン次第なのでおいておく。

 たまに観客から、「あっ、わかった!」とか「あっ、見えた!」と言う言葉にマニアの方は非常に弱いが、皆さんが心配するほど観客はわかってはいない。
観客はわからないししかも見えてもいないのにそのセリフを吐く事があるのだ。
それはマジシャンよりもどうしても優位に立ちたい為の揶揄なのである。
もちろんほんとにわからせたり見せた場合はどうしようもないが。
「そっちの手見せて!」ももしかしたらその手になにか持っているのではという疑惑を抱いているだけなのだ。
むしろこのような疑惑や懐疑心を観客に持たせるマジシャン側の雰囲気が問題なのかもしれない。
私の店にもこのような観客がたまに来店するが、私はまずマジックを演(や)る前に必ず世間話をする。
そしてその会話のやり取りの中で観客のレベルや協力的かどうかを判断して演じるマジックのメニューを決める。
場合によっては子供だましのマジックのほうが高レベルのマジックより受ける時が多々あるのだ。
 練習して自信があるとっておきの凄いマジックよりつなぎで演じた簡単なマジックの方が観客に受けたという経験はないだろうか。
凄く難しいマジックを覚えるより、マジックの現象をエンターティメント的に演出する方法を考えるのが私は大事だと思う。
その為にはやはりおしゃべりを上手く活用しなければならない。
ステージマジックのBGMが音楽なら、テーブルマジックのBGMはおしゃべりなのである。
但し眉唾のオヤジギャグは控えよう。

28 ■■ マックス・マリーニ ■■ 2004-01-01 (Thu)

 近代テーブルマジックの創始者ダイ・バーノンの先生のマックス・マリーニについての逸話を紹介する。
約80年前は今のように数多くのコンベンションもなくテーブルマジックはレストランなどで食事の終わり頃、コーヒーを飲みながらマジシャンが披露していた。
マジックの時間になるとマジシャンが登場してマジックを披露し、ギャラをもらって帰って行くのが普通だった。
マリーニもそんな仕事をやっていた。
マリーニが得意としていたマジックにストローの袋の復活と言うのがあった。
そのマジックの現象が凄いのである。
そのレストランから店名が印刷されたストローの袋を小さく観客に破ってもらい、丸めておまじないをかけると元通りに復活するのだ。
傍に付き人としていたバーノンは非常に驚いた。
マリーニはボーイやウェイトレスにこっそりと袋付きのストローを借りたのではなかったからだ。
 ある日バーノンはマリーニの部屋の片付けをしていた時、気がとがめながらもマリーニの机の引き出しを覗いてしまった。
そして驚愕した。
そこにあったのはマリーニが住んでいる町の全てのレストランの店名が印刷された袋付きのストローやナプキン、マッチなどがぎっしりと詰まっていたのだ。
それをポケットに忍ばせて依頼されたレストランに行くのだ。
マリーニはレストランのスタッフまでも驚かしたのである。

 ある時マックスマリーニは貴族の食事に招待された。
当然、コーヒーの時間にはマジックを披露しなければならないと思い、ちゃんとそこのレストランの袋付きのストローやナプキン、マッチなどを用意して出かけた。
そしてコーヒーの時間になったが、彼はマジックを演じなかった。
何故だかわかるだろうか?
答えは簡単である。
観客がマジックをしてくれと言わなかったからだ。
綿密な計画を立てて完璧な準備をしていても観客からの要望がなかったらしないのだ。
場合によっては演じない勇気が必要とはこの事なのだ。
頼まれてもいないのにマジックの押し売りは観客にとっては凄いマジックがたいしたことのないマジックに変貌してしまう。
状況を判断し、見たくない人には無理に見せないようにすることが大事である。

29 ■■ おしゃべり ■■ 2004-01-13 (Tue)

 前々回、「ステージマジックのBGMが音楽なら、テーブルマジックのBGMはおしゃべりなのである。」と書いたがこれについて面白い事を紹介する。
BGMとは別の意味で言うとミスディレクションでもあるのだ。
皆さんが持ってるマジックの演技のみ(レクチャービデオではない)のビデオを音声を消して見てみよう。
音声が入っている時は見えなかったマジシャンの密かな動きやテクニック、ムーブなどが少し垣間見ることができるのだ。
つまりおしゃべりは非常に強力なアシスタントであり、ミスディレクションでもあることがわかるはずだ。
おしゃべりは非常に重要である。
紙幣や硬貨を借りてマジックを演じる場合はその紙幣について少々の薀蓄を紹介することも重要な要素である。
例えば印刷局は大蔵省から財務省に変わり現在は国立印刷局で製造されていることや、素材はミツマタ・コウゾ・マニラ麻で二酸化第二鉄や顔料などで凹版印刷され、透かしは一般の印刷所では法律で禁じられている黒透かしを使用していることなど、観客が「へえー」と言うような知識を紹介する。
ちなみに私は観客が「へえー」と言う直前に例のボタンの小さなやつを取り出し、観客の「へえー」と同時に押している。(トレビアの泉のボタン)
観客が感心したり笑っている時が一番のミスディレクションなのだ。
こんなこともあった、観客を会話で沸かしながらただ単にポケットからカード取り出しテーブルに置いただけなのに一人の観客が「え!いつの間にトランプがテーブルに!」これには参った。
皆さんもそんな経験があるだろう。
『聞きながら見る』と『見るだけ』ではマジックが大きく変わる。
もはやおしゃべりはとても大事な要素であると言える。

30 ■■ 道具の貸し借り ■■ 2004-01-22 (Thu)

 マジック用具の貸し借りはやめた方がいい。
特に仲のいい友人達間でのそれは関係までが悪化する。
あのカパーフィールドも「貸したマジック用具は90%以上の確率で帰ってこない。」と言っている。
借りると言う事は経済的な理由もあるだろうがほとんどは「買うまでの価値がない」と思っているからだ。
そして単発的なマジック披露が必要な時くらいである。考えてみよう、「買うまでの価値がない」そして「ちょっと観客に見せるだけ」の為に貴方の大事なマジック用品を貸して、タネがバレたり傷つけられたり、ひどい時は壊されたり返してもらえなかったりしたら悲しいだけでは済まされないはずだ。
トリックコインなどは所有者までが紛失するのに、それを貸した友人が紛失する確率は所有者より高い。
マジックを教えるのは良いが、マジック用具を貸すのは考えたほうがいい。
貸したマジック用具は90%以上の確率で帰ってこないし、90%以上の確率で友人までも失うのだ。

31 ■■ 分 類 ■■ 2004-04-01 (Thu)

 今までマジックは勢いとタイミング、そしてセンスだと言うアバウトな言い方をしてきたが、少し詳細な表現で分かり易く話していこうと思う。

 例えば貴方がパーティに呼ばれ、約30分のマジックを頼まれたとする。
それを「勢いとタイミング、そしてセンスで頑張れ!」はあまりにも漠然としている。
このホームページをご覧の皆さんのほとんどはクロースアップマジックを演じてる方々なので、それを前提に話を進めていく。
まずそのパーティには何人の客が来るのかで演じる内容を変えなければならない。
一番いいのは1人でも100人でも見ることができるマジックを演じればよいがそう沢山はない。

 まずテーブルマットが観客全員が見えるか見えないかで演じるマジックを変えなければならない。
40〜50名の全ての観客はテーブルに置いたマット上のカードやコインを見ることができない。
もちろん少人数のテーブルを回って演じるテーブルホッピングは別である。
 私はコンベンションのゲストとしてクロースアップマジックのショーを依頼された時はまずテーブルマットは使わない。
大勢の観客には角度的にもテーブルマット自体も見えないからだ。
テーブルマットは観客全員が見える少人数の時にしか使用しないほうがいい。
大人数の観客がいる場合、例えばテーブルマットにカードをスプレッドするのではなく両手に持って両手の間で広げていく方が観客も見えやすいし、マジシャンも観客を見ながら演じられる。
なるべく観客を見ながら演じたほうがミスディレクションも多いに活用できる。
観客は2つの物を同時に見る慣習がある。一つはマジシャンの手、もう一つは使っている道具だ。
しかしマジシャンが観客を見れば観客もマジシャンの顔を見る。
一番大事なことである。

 観客は素人であるから貴方がどんなマジックをするのかわからない。
しかもクロースアップマジックやサロンマジックやステージマジックの分類さえわからない。
ただ不思議なことをしてくれるのだという感じで期待しているだけである。
だから貴方はそのパーティの観客全員が楽しめるマジックを演じれば良いわけだ。
無理してシガースルーを演じても後方の観客がそれを見ることができなかったら逆効果である。

 言いたい事はクロースアップマジックやサイキックマジックやサロンマジックやステージマジックの分類をしているのはマジシャン側であって観客にとってはどうでも良いことなのである。
マジシャン側でマジックを考えるのではなく、観客側の気持ちでマジックを考えなければならない。
そして状況を判断し、バラエティ豊かな現象とその為の演技の構成や演出を考える知略が必要なのだ。

32 ■■ コインチェンジ ■■ 2004-04-06 (Tue)

 シガースルーに代表されるトリックコインのすり替えのやり方を教えてほしいとのメールがたくさん来ているのでここでその直接的な方法ではなく、理論的に解説する。

 私は観客から1万円札1枚と100円玉1枚、そして10円玉1枚を借りる。
そしてまず1万円札でスレッドルーティンを演じ、その後100円玉と1万円札でシガースルーを演じ、最後にWX10円玉を演じている。
すべて観客から借りたものであるから当然不思議だ。

 最初に全てを借りるときにシガースルーのチェンジを行うため、観客に自然な状況を提供できる。
もちろんおしゃべりと言うミスディレクションで行うのでよりより自然になる。
トリックコインを使用する時、観客から触られないだろうかと気になる方もおられるだろう。
そんな時は観客に両手を出してもらい、1枚ずつ100円玉と10円玉その手に乗せる。
これによって観客は逆に調べることができないし、目の前にあるので安心する。
そして1万円札を細く丸めて観客の手のひらの100円玉を取り上げ貫通させる。
貫通させたらタバコの煙を丸めたお札から噴出し、穴が開いてることを見せると観客は驚く。
その後指先で100円玉を回して両面を見せ、お札を抜いて元通りにする。
その100円玉を消して別の手から現し、チェンジする。
そして最後ににWX10円玉を演じるのだ。

 この一連の関連付けられた手順は100円玉1枚だけを借りるより自然な流れとなる。

参考までに最初お金を借りるシーン(すり替え)と私のシガースルーの手順を紹介する。

http://www.magic.to/mov/ct.wmv

33 ■■ ラスベガスマジック裏事情 ■■ 2004-10-02 (Sat)

 ここ十数年間、毎年ラスベガスでのプライベートショー出演で渡米しているが、この際、私なりに毎年変わり行くラスベガスのマジック裏事情について少し書こうと思う。

 まずはやはりミラージュ(ホテル名)で公演されていたSIEGFRIED & ROYの公演終了事件だろう。
ちょうど1年前の(虎舞竜の歌みたいだ)2003年10/3に公演中のロイがホワイトタイガーに噛まれ、半身不随の重症を負いショー公演を終了せざるを得ないという最悪の事件が起きた。
 現在車椅子でリハビリに専念しながら話もできる状態になったロイは最近のTV番組に出演し、ショー公演中に心臓発作が起き心配したホワイトタイガーが首をくわえてステージ袖に運んでくれたと話していた。
美談なのだろうか・・。
あのでかいホワイトタイガーに心配されたら怖いなと思った。

 もう時効だから話すが、このSIEGFRIED & ROYの公演中に観客のおばちゃんをステージに上げおしゃべりマジックを演じている最中、おばちゃんの真後ろに猛獣が出現するというのがある。
振り返ったおばちゃんは両手を挙げて驚いてしまう! 見ている数千人の観客は涙を流して大笑い。
しかし今まで3回くらいこのショーを見て思ったが、全て同じおばちゃんだった。
これを「サクラ」と非難してはいけない。ショーを盛り上げるためのイフェクトだと思えばいいのだ。
 もしほんとに素人の観客を上げて同じことをやって、その観客が心臓発作で逝ってしまったら、洒落にならない大事件だ。
今回のロイの事件どころではない。

 今は愛するSIEGFRIEDがラスベガスの自宅の広い敷地内で愛するROYを介護しながら幸せに暮らしているらしい。お幸せに・・・。

34 ■■ Monologue再開 ■■ 2005-01-30 (Sun)

 目的を持ったり主題を立てたりして構えてモノローグを書こうとすれば先に進まない自分の性格の怠慢さを捨てる為に、今後は思いついた事だけでもそして少しでも書こうと思うので、了承して頂きたい。

 ラスベガスについてはもし行かれる方がいらしたら直接メールを頂ければお薦めのマジックスポットや美味しいレストラン、日本料理が恋しくなったその料理店などをご紹介する。

 因みに現在の、と言っても去年の9月が最後だったがラスベガスでのお薦めのショーはベラージオの「O」やMGMグランドの「KA」(これは去年の11/26からで見てはないが・・)
逆にラスベガスならマジックショーをご覧になるより他の有名ショーを観た方が感性を磨くにはいいかもしれないと思ってしまうほど凄いのである。